2012年 05月 24日
僕が初めて三陸のことを知ったのは、35年前の小学生の時。
旅行好きの母親が大切にしていた「日本の名所旧跡」の写真集に、三陸の地名と代表的な景勝地が紹介されていた。
見た瞬間に心を奪われた。それが浄土ヶ浜だ。
〈浄土ヶ浜〉
初めて訪れたのは、24年前の大学時代。男6人の貧乏旅行。
しかしそれは予想外の展開となる。鈴木が地元の女子2人をナンパして、下心満載の大所帯で浄土ヶ浜に行くはめになったのだ。しかも狙った娘は横取りされるわ、口説きをアシストするピエロ役はやらされるわで、悔し涙に暮れた。
そんな苦い思いが残り、いつか再訪して心ゆくまで風景を堪能したいと思っていた。
今、その夢が実現する。果たして震災の影響はあるのか? 見たいけど見るのが怖い。

浄土ヶ浜へ通じる遊歩道は、崩れて危険なために進入禁止になっていた。
仕方なく大回りの丘越えルートで迂回する。

そのルートも舗装された道の至る所に亀裂が入ったり崩落したり。それに崖くずれによって、石や岩が転がり放題の Rolling Rock状態。なんか、俺の人生みたいだ。


(そろそろ見える頃だけどな・・・ん?)
海からゴツゴツと無粋な岩が突き出てるのが見えた。もしや、あれが・・・
やはり津波で変わり果ててしまったのか?

ところが見る角度が変わると無骨な岩が徐々に洗練され、見覚えのある形になった。浄土ヶ浜だ。良かった、生きていた!
曇り空だが、海の色は澄んだエメラルドグリーン。白い岩と緑の松とのコントラストが美しい。極楽浄土のように浮世離れしていることから名付けられたらしいが、今は大津波に呑まれても生き残ったリアルで強靭な風景に見える。


そしていよいよ、あの写真集でも見た浄土ヶ浜の絶景ポイントに。
「あーっ!やられた…」
ガレキが散乱し、遊歩道の鉄冊が破壊され、舗装が剥がれて引きちぎられている。
透明な海には汚物のようなガレキの浮遊物。無念・・・。
浄土ヶ浜はいつも僕に苦い。愛情を確認するために、いつも男を困らせて反応を見る面倒な女性のようだ。彼女がもっと素直だったら今ごろ・・・って、何の話だ?

(まぁ、自然自体は壊れてなかったから良しとするか)
プチ失恋気分で歩いていると、犬を連れた女性がやって来た。歳の頃は40歳前後か。その顔にかすかな面影があった。24年前に僕たちがナンパし、横取りされて指をくわえて見ていた女の子。つまり浄土ヶ浜を苦くした犯人の一人。
もちろん別人だろう。でも僕にはそう見えてしまった。
ならば責任をとってもらうしかあるまい。
「ここにはよく散歩に来られるんですか?」
「ええ、いい所なんで。津波の後は初めてなんですけど、思ったほどヒドくなかった
んで、ちょっと安心しました」
しばしの会話。僕がボランティアに来たことを伝えると、感謝の言葉をもらった。
実際はまだ、なんちゃってボランティアなんだけどね。
しかし近くで見ると、やっぱりあの女の子に似てるような気がする。いっちゃうか?
「24年前、大学時代に男6人でここに来たことがあるんですよ。地元の女の子たちに
案内してもらって。二人ともすごく親切で…実は似てるんですよ、その時の子に」
彼女の表情が変わった。
「えっ、私が?」
「ええ。昔そんなことなかったですか?」
これじゃあ「似てる作戦」を使ったベタなナンパだ。昨夜Mさんのメールに失望してボランティアに専念する覚悟をしたばかりなのに。なにをやってんだか。
でも、ここで出会ったのは運命のような気もする。お袋に似て直感力がある方だし。
いっそのことボランティアなんてケチなこと言わないで、三陸に骨を埋めるか・・・
心なしか用心棒、いやワンちゃんの顔が険しいが、小犬だから大丈夫だろう。
「ちょっと記憶にありませんね…それに24年前だったら盛岡に住んでたんで」
「大学かなんかですか?」
「いえ、宮古の高校出て盛岡で就職したんです。たぶん2〜3年目かな…あら、年が
わかっちゃいますね」
笑顔が良かった。
「でも、またこちらに戻られたんですか?」
「ええ、地元の人と結婚することになったので。それに、ここの海が好きだから」
「今でも?」
またやっちまった!そんなこと答えづらいだろうが。
「うーん…正直言って、津波の直後は嫌いというか、怖くなって離れたくなりました
けど、今日見てやっぱりいいなと思いました。やっぱり好きなんだなって」

彼女は僕の愚問に真摯に答えてくれた。聞いて良かった。それに既婚と分かって改めてボランティアに専心する覚悟が出来たしね。親父に似て勘が悪いよなぁ。
彼女の写真を撮りたいと思った。あの子の写真と見比べるためにも。
でもすでにボルテージが下がっていつもの小心に戻ってしまったので、言いにくい。
情けないが結局断念して、自分の写真を撮ってもらうことにした。
「すみませんが、写真お願いしていいですか?」
「えっ、私ですか? ええ…」
と言いつつ、それとなく身づくろいをする彼女。
(違います、俺を撮って…)という言葉をのみ殺した。勘違いして自分から撮影をOKしてくれたのだ。タナから小判。ラッキー!
さらに険しい顔になったワンちゃんを黙殺して、彼女を激撮した。あの時のあの子もこんな感じではにかんでいたような・・・帰ったら大学の連中に見せてみようか。
彼女のおかげで、浄土ヶ浜の苦みは青汁からゴーヤーチャンプルーに変わった。
比喩としては失敗したけど、なんとなくニュアンスが伝われば嬉しい。

宮古は海岸近くは壊滅状態だが、駅周辺の中心部の被害がそれ程でもないから、復興は比較的早いだろう。僕は先に進むことにした。
〈宮古市の死者412名/行方不明者355名(5月15日)〉
当初、宮古の後は24年前と同じ三陸の北端である青森県・八戸市まで行くつもりだったが、日程の問題もあるし、宮城の被災地に早く行きたくなってきた。
それに、そろそろボランティアやんないと、狼中年になりそうだし・・・。
熟考の末、やはり宮城に向かうことにした。宮古からは、山田〜大槌〜釜石〜大船渡と行きと同じ国道45号線を逆走し、被災地の状況を早回しでおさらいしていく。
〈三陸海岸(八戸ー気仙沼)〉

【陸前高田】
午後3時頃、今回の旅のスタート地点・陸前高田へ舞い戻った。
やっぱり凄い。ここが一番凄い。陸前高田には圧倒的な廃墟のオーラがある。
無数の失われたものたちの姿や声が、行き場をなくしてさまよっている。
〈陸前高田中心部〉


もし自分の故郷がこうなったら、どう感じるのか? 実は近い経験をしたことがある。
僕は長崎県の平戸という島に6歳から2年ほど住んでいた。平戸は三陸のように海と山に囲まれた美しい島で、僕の中にある尽きることの無い「海の向こう」=「異国」への憧れが芽生えた場所。つまり僕を旅行オタクにした諸悪の根源だ。
今から8年前、十数年ぶりに平戸の旧宅を訪ねた。4家族が親戚のように仲良く暮らしていた2階建ての小さな集合住宅。しかし行ってみると建物はなく、粉々になった生々しいコンクリートの破片が転がっていた。取り壊された直後だったのだ。
その光景は、驚くほど津波の被災地に似ていた。思い出がきちんとファイルされずに地縛霊のようにさまよっている。僕は大きな喪失感に襲われ、ただ呆然となった。
おそらくそれを何万倍にもしたものが陸前高田。この町を見過ごすことはできない。


一旦落ち着いてボランティアをやろうかという誘惑に駆られた。ここまで怒涛の被災地視察千本ノックを受けて精神が病んできてるし、体力的にもかなり堪えている。
しかし最も被害が大きく、死者・行方不明者が多いのは宮城なのだ。それを見なかったら、また人生同様、中途半端になってしまう。こうなったら被災地と心中だ。
DOWN TO SOUTH!
〈陸前高田市の死者1,483名/行方不明者 706名(5月15日)〉
【気仙沼】

午後5時頃、気仙沼の唐桑地区に到着。ここは津波と火災のW災害で地獄なみの惨禍を受けたエリアで、今回の最重要ポイントの一つだ。前回は強雨のためにすぐに退散したが、そのあまりに凄惨な光景はグランドキャニオン以上のインパクトがあった。
〈3月末の唐桑地区〉

前回同行したカメラマンのKさんが、僕に黙って一人で気仙沼を再訪したのは、この唐桑地区を徹底的に歩いて撮影したかったからだと思う。それほどの場所だ。
陽が落ちてまた冬に戻った。電灯のない被災地は、暗くなると危険だ。僕はヴィッツを止めて夕刻の被災現場に飛び込んだ。
(あれぇ…こんな感じなの?)
それが正直な印象だった。想像したほどではなかったのだ。もちろん破壊も火災も凄絶なありさまで、初めて見る被災地だったら絶句間違いなしだと思う。
でもあの地獄絵図を目の当たりにした僕にとっては、それほど驚くに値しない。
〈4月頭の唐桑地区〉



その理由は二つある。
まず、前回と比べてかなりガレキが撤去されたこと。土日の日米共同の捜索活動と撤去作業が功を奏したのだろう。でもそれよりもっと大きな理由は、意外な物だった。
船だ。打ち上げられた巨大な漁船だ。

不思議だった。宮古の鍬ヶ崎地区では、巨大な打ち上げ船がむしろ見た目の悲劇性を増幅させていた。それに比べて唐桑地区では、船が風景を救っている。なぜか?
そこに大きな色があるからだ。
前回見た唐桑地区は、火災であらゆる物が焦がされ色を失った「死の風景」だった。
この船も遠く離れた場所で雨に包まれ、色を隠していた。
でも今、船は眼前にそそり立ち、鮮やかな色を周囲に放射している。
それは「生の象徴」であり、人間の希望をのせた「ノアの箱船」のように見えた。

しかしそんな救われた思いの背後に、(一足遅かったな。もっと手つかずの時に見たかった…)という一抹の残念な思いが貼り付いていたことを白状しよう。
やっぱり心が病んできている。休息が必要だ。
僕は暗くなるまで唐桑地区を撮り続けて、疲れ果ててしまった。でも休む余裕は微塵もない。これから今日の宿を探さなければならないのだ。
(とりあえず気仙沼の宿をしらみつぶしに当たるか)
なぜか、イヤな予感がしてきた・・・
旅行好きの母親が大切にしていた「日本の名所旧跡」の写真集に、三陸の地名と代表的な景勝地が紹介されていた。
見た瞬間に心を奪われた。それが浄土ヶ浜だ。
〈浄土ヶ浜〉

初めて訪れたのは、24年前の大学時代。男6人の貧乏旅行。
しかしそれは予想外の展開となる。鈴木が地元の女子2人をナンパして、下心満載の大所帯で浄土ヶ浜に行くはめになったのだ。しかも狙った娘は横取りされるわ、口説きをアシストするピエロ役はやらされるわで、悔し涙に暮れた。
そんな苦い思いが残り、いつか再訪して心ゆくまで風景を堪能したいと思っていた。
今、その夢が実現する。果たして震災の影響はあるのか? 見たいけど見るのが怖い。

浄土ヶ浜へ通じる遊歩道は、崩れて危険なために進入禁止になっていた。
仕方なく大回りの丘越えルートで迂回する。

そのルートも舗装された道の至る所に亀裂が入ったり崩落したり。それに崖くずれによって、石や岩が転がり放題の Rolling Rock状態。なんか、俺の人生みたいだ。


(そろそろ見える頃だけどな・・・ん?)
海からゴツゴツと無粋な岩が突き出てるのが見えた。もしや、あれが・・・
やはり津波で変わり果ててしまったのか?

ところが見る角度が変わると無骨な岩が徐々に洗練され、見覚えのある形になった。浄土ヶ浜だ。良かった、生きていた!
曇り空だが、海の色は澄んだエメラルドグリーン。白い岩と緑の松とのコントラストが美しい。極楽浄土のように浮世離れしていることから名付けられたらしいが、今は大津波に呑まれても生き残ったリアルで強靭な風景に見える。


そしていよいよ、あの写真集でも見た浄土ヶ浜の絶景ポイントに。
「あーっ!やられた…」
ガレキが散乱し、遊歩道の鉄冊が破壊され、舗装が剥がれて引きちぎられている。
透明な海には汚物のようなガレキの浮遊物。無念・・・。
浄土ヶ浜はいつも僕に苦い。愛情を確認するために、いつも男を困らせて反応を見る面倒な女性のようだ。彼女がもっと素直だったら今ごろ・・・って、何の話だ?

(まぁ、自然自体は壊れてなかったから良しとするか)
プチ失恋気分で歩いていると、犬を連れた女性がやって来た。歳の頃は40歳前後か。その顔にかすかな面影があった。24年前に僕たちがナンパし、横取りされて指をくわえて見ていた女の子。つまり浄土ヶ浜を苦くした犯人の一人。
もちろん別人だろう。でも僕にはそう見えてしまった。
ならば責任をとってもらうしかあるまい。
「ここにはよく散歩に来られるんですか?」
「ええ、いい所なんで。津波の後は初めてなんですけど、思ったほどヒドくなかった
んで、ちょっと安心しました」
しばしの会話。僕がボランティアに来たことを伝えると、感謝の言葉をもらった。
実際はまだ、なんちゃってボランティアなんだけどね。
しかし近くで見ると、やっぱりあの女の子に似てるような気がする。いっちゃうか?
「24年前、大学時代に男6人でここに来たことがあるんですよ。地元の女の子たちに
案内してもらって。二人ともすごく親切で…実は似てるんですよ、その時の子に」
彼女の表情が変わった。
「えっ、私が?」
「ええ。昔そんなことなかったですか?」
これじゃあ「似てる作戦」を使ったベタなナンパだ。昨夜Mさんのメールに失望してボランティアに専念する覚悟をしたばかりなのに。なにをやってんだか。
でも、ここで出会ったのは運命のような気もする。お袋に似て直感力がある方だし。
いっそのことボランティアなんてケチなこと言わないで、三陸に骨を埋めるか・・・
心なしか用心棒、いやワンちゃんの顔が険しいが、小犬だから大丈夫だろう。
「ちょっと記憶にありませんね…それに24年前だったら盛岡に住んでたんで」
「大学かなんかですか?」
「いえ、宮古の高校出て盛岡で就職したんです。たぶん2〜3年目かな…あら、年が
わかっちゃいますね」
笑顔が良かった。
「でも、またこちらに戻られたんですか?」
「ええ、地元の人と結婚することになったので。それに、ここの海が好きだから」
「今でも?」
またやっちまった!そんなこと答えづらいだろうが。
「うーん…正直言って、津波の直後は嫌いというか、怖くなって離れたくなりました
けど、今日見てやっぱりいいなと思いました。やっぱり好きなんだなって」

彼女は僕の愚問に真摯に答えてくれた。聞いて良かった。それに既婚と分かって改めてボランティアに専心する覚悟が出来たしね。親父に似て勘が悪いよなぁ。
彼女の写真を撮りたいと思った。あの子の写真と見比べるためにも。
でもすでにボルテージが下がっていつもの小心に戻ってしまったので、言いにくい。
情けないが結局断念して、自分の写真を撮ってもらうことにした。
「すみませんが、写真お願いしていいですか?」
「えっ、私ですか? ええ…」
と言いつつ、それとなく身づくろいをする彼女。
(違います、俺を撮って…)という言葉をのみ殺した。勘違いして自分から撮影をOKしてくれたのだ。タナから小判。ラッキー!
さらに険しい顔になったワンちゃんを黙殺して、彼女を激撮した。あの時のあの子もこんな感じではにかんでいたような・・・帰ったら大学の連中に見せてみようか。
彼女のおかげで、浄土ヶ浜の苦みは青汁からゴーヤーチャンプルーに変わった。
比喩としては失敗したけど、なんとなくニュアンスが伝われば嬉しい。

宮古は海岸近くは壊滅状態だが、駅周辺の中心部の被害がそれ程でもないから、復興は比較的早いだろう。僕は先に進むことにした。
〈宮古市の死者412名/行方不明者355名(5月15日)〉
当初、宮古の後は24年前と同じ三陸の北端である青森県・八戸市まで行くつもりだったが、日程の問題もあるし、宮城の被災地に早く行きたくなってきた。
それに、そろそろボランティアやんないと、狼中年になりそうだし・・・。
熟考の末、やはり宮城に向かうことにした。宮古からは、山田〜大槌〜釜石〜大船渡と行きと同じ国道45号線を逆走し、被災地の状況を早回しでおさらいしていく。
〈三陸海岸(八戸ー気仙沼)〉

【陸前高田】
午後3時頃、今回の旅のスタート地点・陸前高田へ舞い戻った。
やっぱり凄い。ここが一番凄い。陸前高田には圧倒的な廃墟のオーラがある。
無数の失われたものたちの姿や声が、行き場をなくしてさまよっている。
〈陸前高田中心部〉


もし自分の故郷がこうなったら、どう感じるのか? 実は近い経験をしたことがある。
僕は長崎県の平戸という島に6歳から2年ほど住んでいた。平戸は三陸のように海と山に囲まれた美しい島で、僕の中にある尽きることの無い「海の向こう」=「異国」への憧れが芽生えた場所。つまり僕を旅行オタクにした諸悪の根源だ。
今から8年前、十数年ぶりに平戸の旧宅を訪ねた。4家族が親戚のように仲良く暮らしていた2階建ての小さな集合住宅。しかし行ってみると建物はなく、粉々になった生々しいコンクリートの破片が転がっていた。取り壊された直後だったのだ。
その光景は、驚くほど津波の被災地に似ていた。思い出がきちんとファイルされずに地縛霊のようにさまよっている。僕は大きな喪失感に襲われ、ただ呆然となった。
おそらくそれを何万倍にもしたものが陸前高田。この町を見過ごすことはできない。


一旦落ち着いてボランティアをやろうかという誘惑に駆られた。ここまで怒涛の被災地視察千本ノックを受けて精神が病んできてるし、体力的にもかなり堪えている。
しかし最も被害が大きく、死者・行方不明者が多いのは宮城なのだ。それを見なかったら、また人生同様、中途半端になってしまう。こうなったら被災地と心中だ。
DOWN TO SOUTH!
〈陸前高田市の死者1,483名/行方不明者 706名(5月15日)〉
【気仙沼】

午後5時頃、気仙沼の唐桑地区に到着。ここは津波と火災のW災害で地獄なみの惨禍を受けたエリアで、今回の最重要ポイントの一つだ。前回は強雨のためにすぐに退散したが、そのあまりに凄惨な光景はグランドキャニオン以上のインパクトがあった。
〈3月末の唐桑地区〉

前回同行したカメラマンのKさんが、僕に黙って一人で気仙沼を再訪したのは、この唐桑地区を徹底的に歩いて撮影したかったからだと思う。それほどの場所だ。
陽が落ちてまた冬に戻った。電灯のない被災地は、暗くなると危険だ。僕はヴィッツを止めて夕刻の被災現場に飛び込んだ。
(あれぇ…こんな感じなの?)
それが正直な印象だった。想像したほどではなかったのだ。もちろん破壊も火災も凄絶なありさまで、初めて見る被災地だったら絶句間違いなしだと思う。
でもあの地獄絵図を目の当たりにした僕にとっては、それほど驚くに値しない。
〈4月頭の唐桑地区〉



その理由は二つある。
まず、前回と比べてかなりガレキが撤去されたこと。土日の日米共同の捜索活動と撤去作業が功を奏したのだろう。でもそれよりもっと大きな理由は、意外な物だった。
船だ。打ち上げられた巨大な漁船だ。

不思議だった。宮古の鍬ヶ崎地区では、巨大な打ち上げ船がむしろ見た目の悲劇性を増幅させていた。それに比べて唐桑地区では、船が風景を救っている。なぜか?
そこに大きな色があるからだ。
前回見た唐桑地区は、火災であらゆる物が焦がされ色を失った「死の風景」だった。
この船も遠く離れた場所で雨に包まれ、色を隠していた。
でも今、船は眼前にそそり立ち、鮮やかな色を周囲に放射している。
それは「生の象徴」であり、人間の希望をのせた「ノアの箱船」のように見えた。

しかしそんな救われた思いの背後に、(一足遅かったな。もっと手つかずの時に見たかった…)という一抹の残念な思いが貼り付いていたことを白状しよう。
やっぱり心が病んできている。休息が必要だ。
僕は暗くなるまで唐桑地区を撮り続けて、疲れ果ててしまった。でも休む余裕は微塵もない。これから今日の宿を探さなければならないのだ。
(とりあえず気仙沼の宿をしらみつぶしに当たるか)
なぜか、イヤな予感がしてきた・・・

































































































































